パンと一緒のおいしい時間その35~春には、パンを焼きましょう~

はるか古代のパンの写真が掲載されている本をパラパラとめくっていましたら、あらあら、古代エジプトパンの素朴な形はまるで私のパンのよう。
その中に、「小麦の三日月パン」という白い馬蹄形のパンがあって、どうみてもクロワッサンそっくりです。もう十ページめくると、古代ローマ時代の「五世紀の三日月パン」の写真があり、三日というより五日目ほどのきれいにしなった月の形をしていました。約千五百年の時の流れが端正な形をつくる余裕を与えたのでしょうか。
それにしても人々は、どうして月の形をパンにしたのでしょう、月を愛で、神と崇めたのか、ただ月の形を模したのか・・・・・・古人のみぞ知る・・・・・・?
けれども、現代の三日月型のパンの代表格、クロワッサンの誕生に関しては、いくつかの発祥説が知られています。
有名なのは、あのクロワッサンの三日月デザインは、トルコの国章をかたどったという話です。時は十七世紀のオーストリアの首都ウィーン。守りの固いウィーンを包囲していたオスマン・トルコ軍が、地下にトンネルを掘り市内への侵入を企てたのを、深夜作業にいそしんでいたパン屋がものものしい音を聞きつけ注進し、ウィーンを危機から救った、という武勇伝が背景。その勝利を記念してウィーンのパン屋がトルコ国章の三日月をかたどったパンを焼くようになったとか。
それから百年近くあとに、オーストリア皇女であって、後のマリー・アントワネット王妃が、フランスにその三日月パンの製法を伝えたといいますが、まだそのときの三日月パンは、ふつうのハードなパンだったそう。
いまのような、ふんわりサクサクとしたクロワッサンの生地の製法はデンマークからフランスへ流れ、ウィーンから伝わっていた三日月型と融合して無事にクロワッサンが誕生。それはつい百年前の二十世紀初頭のこと。
実は中世の頃までのフランスでは、パンは人々の日々の糧をささえる基礎食物として、その分量はとても重要でしたが、形はあまり進化せず、まるいもので充分だったようです。食卓で会話を禁じられていた修道士達も、右手と左手の指で丸い形をつくって、「パン」を示したとか。
そんな話を聞くと、「そう、そう、形よりおいしさが一番」などと、パン屋ながらも自分に都合の良いところだけ受け取ってしまいがち。でも、パンづくりが難しいならば、とうてい主食ではありえなかったはず。
ですから、私のパンレッスンのレシピはいつも簡単です。ひとつ、新春のパンレッスンでご好評だった、アルザスのパン「タルト・フランベ」をご紹介しましょう。新玉葱がそろそろおいしい頃ですしね。
強力粉百五十グラム、塩小さじ二分の一、ドライイースト小さじ一をボールに入れ、人肌ぐらいのぬるま湯二分の一カップ強を注ぎます。五分ほどボールの中でこねたら、ボールにラップをかけて暖かいところへ小一時間ほど。生地が膨らんだな、と思ったら六個に分けて、めん棒か手でペッタンコにのばし、オーブンシートを敷いた天板に移します。サワークリームを塗り、薄切り玉葱とベーコンを散らしてコショウ少々。二百三十度のオーブンで十分弱。蓋をしたフライパンでも焼けますよ、焦げないようにご注意を。
大和田 聡子(おおわだ としこ) 東京都生れ
小麦育種家の父の影響で幼少からパンに親しむ。30歳を過ぎて父の開発にかかる岩手産「コユキコムギ」を使って独学でパンを焼きはじめ、2003年5月、目黒区洗足2-8-27の自宅の一角でナチュラルパン工房「ワルン・ロティ」を開く。チーズやワインにも造詣も深く各地で講師を務めるとともに、異色の創業者としてマスコミ等にも多数登場。著書に『自宅でパン屋はじめました』(河出書房新社刊)。
http://www.warungroti.com/
