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      <title>パンと一緒のおいしい時間</title>
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      <language>ja</language>
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         <title>その36　～チーズは太らない、というけれど・・・～</title>
         <description><![CDATA[<img alt="イラスト"src="http://www.kirinkun.com/bread/images/0803_bread_01.jpg" width="300" height="250" align="right"  />　「い～しや～きぃ～も～、焼き芋～」と、ほらほら聞こえてきましたよ。冷たい風に乗って、甘い誘惑のかけ声が。急いで財布をつかんで、ズックをつっかけて、声を追いかけ
ます。　胸に抱いたあつあつの焼き芋をパカッと半分に割って……実は、クリームチーズを落としてカブリつくのが好きなんです。
　「それで、ダイエットが趣味なの？」なんて笑わないでくださいね。ご存じでしょうか、焼き芋にチーズで、完全栄養食になるんですよ。
　なにしろ、チーズは栄養満点。お餅ひとかけぐらいのチーズは、牛乳ビン一本分のミルクをぎゅうと凝縮させたものですから、もちろんカルシウムはたっぷり。さらに、皮膚や粘膜の健康を保つ「ビタミンA」が、緑黄色野菜より多いと聞けば、「お肌つるつる効果」も期待できます。
　けれども、そんな優秀なチーズにも欠けている栄養素があり、それは、ビタミンCと繊維だそう。ですから、それをプラスすれば、完全栄養食で怖いモノなし。サツマイモには、ビタミンCと食物繊維がたっぷりですよね。
　それから、もう一つ、忘れてはならないポイントは、チーズに豊富な「ビタミンB2」。体内で脂肪を燃焼させ、からだの中に蓄積させない働きをしてくれるそう。だから、チーズを食べている人は、食べていない人に比べてスリムだという説もあります。
　それだけの能書きが味方してくれるなら、安心安心と、ついつい二本目のお芋にチーズをのせて……は、さすがの効能も退散ですね。
　さて、チーズは、パンとワインと同じように古代メソポタミアで誕生したといわれています。四千年以上も前。ひとりの商人が、羊の胃袋を干してつくった水筒にミルクを入れて、ラクダに揺られて旅をしていたら、いつのまか水筒のミルクが固まって、おいしいチーズになっていたとか。
　ミルクの乳酸菌と、羊の胃袋からしみ出たミルクを固める酵素、そしてラクダの適度なゆらゆら……。これが、チーズをつくったといわれます。
　子羊や仔牛の胃袋には、ミルクを固める酵素「レンニン」があって、それは、もともとは赤ちゃん羊や赤ちゃん牛のため。おかあさんのおっぱいからもらったミルクを、胃袋でやわらかく固めておいて、少しずつ消化の良いアミノ酸に分解して吸収してゆくのを助けているのです。
　あかちゃん牛たちを育てるチーズですから、栄養たっぷりなのはあたりまえ、たんぱく質もビタミンも脂肪もバランスよく含まれています。
　ですから、チーズの歴史が深い国では、常にチーズは「命の薬」として大切にされてきました。
　先日、日本酒が大好きな方から、おつまみに、貝割れ大根とチーズを海苔巻きにするとおいしいよ、と話してくれました。海苔は、繊維がたっぷりなのは知っていましたが、ビタミンCも多いのだそうです。ということは、やっぱり完全栄養食。お燗したお酒においしそう。
　そういえば、子どもの頃、母はよく、お餅とチーズの海苔巻きをつくってくれました。焼いたお餅に醤油をからめ、スライスチーズと海苔で巻くだけですが、やはり母も栄養を考えてくれたのでしょうか。]]></description>
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         <pubDate>Fri, 28 Mar 2008 12:47:44 +0900</pubDate>
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         <title>その35～春には、パンを焼きましょう～</title>
         <description><![CDATA[<img alt="イラスト"src="http://www.kirinkun.com/bread/images/0802_bread_01.jpg" width="300" height="250" align="right"  />
　はるか古代のパンの写真が掲載されている本をパラパラとめくっていましたら、あらあら、古代エジプトパンの素朴な形はまるで私のパンのよう。
　その中に、「小麦の三日月パン」という白い馬蹄形のパンがあって、どうみてもクロワッサンそっくりです。もう十ページめくると、古代ローマ時代の「五世紀の三日月パン」の写真があり、三日というより五日目ほどのきれいにしなった月の形をしていました。約千五百年の時の流れが端正な形をつくる余裕を与えたのでしょうか。
　それにしても人々は、どうして月の形をパンにしたのでしょう、月を愛で、神と崇めたのか、ただ月の形を模したのか・・・・・・古人のみぞ知る・・・・・・？
　けれども、現代の三日月型のパンの代表格、クロワッサンの誕生に関しては、いくつかの発祥説が知られています。
　有名なのは、あのクロワッサンの三日月デザインは、トルコの国章をかたどったという話です。時は十七世紀のオーストリアの首都ウィーン。守りの固いウィーンを包囲していたオスマン・トルコ軍が、地下にトンネルを掘り市内への侵入を企てたのを、深夜作業にいそしんでいたパン屋がものものしい音を聞きつけ注進し、ウィーンを危機から救った、という武勇伝が背景。その勝利を記念してウィーンのパン屋がトルコ国章の三日月をかたどったパンを焼くようになったとか。
　それから百年近くあとに、オーストリア皇女であって、後のマリー・アントワネット王妃が、フランスにその三日月パンの製法を伝えたといいますが、まだそのときの三日月パンは、ふつうのハードなパンだったそう。
　いまのような、ふんわりサクサクとしたクロワッサンの生地の製法はデンマークからフランスへ流れ、ウィーンから伝わっていた三日月型と融合して無事にクロワッサンが誕生。それはつい百年前の二十世紀初頭のこと。
　実は中世の頃までのフランスでは、パンは人々の日々の糧をささえる基礎食物として、その分量はとても重要でしたが、形はあまり進化せず、まるいもので充分だったようです。食卓で会話を禁じられていた修道士達も、右手と左手の指で丸い形をつくって、「パン」を示したとか。
　そんな話を聞くと、「そう、そう、形よりおいしさが一番」などと、パン屋ながらも自分に都合の良いところだけ受け取ってしまいがち。でも、パンづくりが難しいならば、とうてい主食ではありえなかったはず。
　ですから、私のパンレッスンのレシピはいつも簡単です。ひとつ、新春のパンレッスンでご好評だった、アルザスのパン「タルト・フランベ」をご紹介しましょう。新玉葱がそろそろおいしい頃ですしね。
　強力粉百五十グラム、塩小さじ二分の一、ドライイースト小さじ一をボールに入れ、人肌ぐらいのぬるま湯二分の一カップ強を注ぎます。五分ほどボールの中でこねたら、ボールにラップをかけて暖かいところへ小一時間ほど。生地が膨らんだな、と思ったら六個に分けて、めん棒か手でペッタンコにのばし、オーブンシートを敷いた天板に移します。サワークリームを塗り、薄切り玉葱とベーコンを散らしてコショウ少々。二百三十度のオーブンで十分弱。蓋をしたフライパンでも焼けますよ、焦げないようにご注意を。]]></description>
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         <pubDate>Wed, 27 Feb 2008 16:08:36 +0900</pubDate>
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         <title>その34 ～思い出パン、一つくださいな～</title>
         <description><![CDATA[<img alt="イラスト"src="http://www.kirinkun.com/bread/images/0801_bread_01.jpg" width="300" height="250" align="right"  />
　とうとう、新しい年が始まりましたね。昨年は、師走の初めに朝日新聞朝刊の生活面にやや大きめカラー写真付きでワルン・ロティを紹介いただき、おかげさまで、賑やかな暮れとなりましたよ。掲載記事は、題して「のんびり週末店主」。
　ネットで何でも買い物ができる時代に、週末だけでも「あえて『店舗』を構え、お客さんとふれあう」営業のスタイルを取り上げてくれたのです。残念ながら「パンがおいしい」という内容ではなかったのですが・・・・・・。
　ところが、記事を読んだ方から、意外な問い合わせが飛び込みました。
　「昭和二十年代に食べたパンの味が忘れられないのです。あんなパンを焼いていませんか？あの頃のパンは今のパンとはまったく違って、割るとパンの香りがちゃんとして・・・・・・」と。電話口から察するに、七十過ぎぐらいのおじいちゃんでしょうか。
　でも、昭和二十年代と言えば、食べる物を手に入れるのに必死だった戦争直後のはず。配給制であった小麦粉はアメリカからの援助物資で、パン、めん類とともに「自由販売」となったのは昭和二十七年からと聞いています。
　「残念ながらまだ生まれていなくて、その頃のパンの味はわからないのですが、おそらくアメリカからの粉を使っていたと思います。こちらの岩手産小麦のパンとは味が異なると思うのです。それとも、小麦畑が近くにありましたか？」と、応えると、「私もほんの子供でしたけどね、そう、パン用をメリケン粉って呼んでいたのは覚えてますよ・・・・・・。」と、おじいちゃん。
　電話を置いたあと、さて？昭和二十年代のパンっていったいどんなパンだったのでしょう。気になって、父に訊いてみると、やはり小麦粉はアメリカからのものだったろう、との返事。
　「三十年代の終わり頃かな。製粉会社の人との話はね、工場でパンを作ることに集中していたよ。パン生地が、次々とベルトコンベアで運ばれるだろう。その間ずっと、パン生地の形が崩れずに次の工程に送られることが最重要だったんだ。形が保ちにくい日本の小麦などでパンを焼くという発想は、あの人たちの頭にはなかったようだった。」
　そして、「戦後は、いっとき、膨らまし粉を混ぜたパン生地を木の箱にいれて銅板二枚を箱の両側に立て、通電させて、電気の熱でパンを焼いたものだよ。知っているかな。」とも。
　膨らまし粉とは、重曹の事。当時はパン用イーストなど手に入らなかったそうです。電極付木箱のパンはどんな味だったのでしょう？
　それを知らない世代の私の記憶に初めて登場するパンは、四角い食パンと、給食のコッペパンですが、もてあますほどにずんぐりと大きかったコッペパンも、実は昭和二十年代生まれのパンのひとつだそうです。
　昭和二十五年にアメリカの援助小麦をもとに始まった学校給食用のパンとして誕生したもので、かわいい名前は、当時のパン屋が在日フランス人のために焼いたラグビーボール型の小さなフランスパン「クーペ」が由来とか。つまり純粋な日本生まれのパン。
　さて、電話のおじいいちゃんは、どんな思い出パン話をしてくださるでしょうか？
来店を楽しみにしているのです。]]></description>
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         <pubDate>Mon, 28 Jan 2008 14:48:16 +0900</pubDate>
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         <title>～されどクープに片思い～</title>
         <description><![CDATA[<img alt="イラスト"src="http://www.kirinkun.com/bread/images/0712_bread_01.jpg" width="300" height="250"  align="right"  />
　クープとは、パンの切り込みのこと。パン屋の店先でパチパチと音をたてて焼きあがったバゲットの表面に、ほら、何本か斜めに割れたラインがあって、その先端が尖っていたりするでしょう。あの切り込みがクープ、実はパンを焼く人にとってはあこがれの対象なんです。
　家庭でパンを焼く方々から、「クープが形よく入ったバゲットを焼きたいんです・・・・・・」と、相談される事がしばしば。
　クープは、オーブンに入れる直前のパン生地にクープナイフで切り込んでつくります。クープを入れるのは見た目の「飾り」と、火通りをよくして、中までしっかり焼けたパンにするため。パン生地が高温のオーブンで暖められると、勢いよく膨らむ力が表面の切り込みをグッと押し上げるのです。
　元気のいい尖ったクープは、オーブンの温度が決め手。ですから、高温を保ちにくい家庭のオーブンではちょっと難しいのですが、うまくコツをつかんで、あこがれのクープがつくれるようにと、こんなふうにアドバイスをしています。
　「一、パンを捏ねる時は、水分はやや少なめの堅めのパン生地にして。二、オーブンに入れる直前の発酵は天板に載せた状態で、それも早めに切り上げたら。三、クープナイフ（なければ安全カミソリを割り箸に挟んでしっかり止めたもので）勢いよくサッと、深めに切り込みを入れ。四、霧吹きをし、最高温度に予熱しておいたオーブンに天板ごと入れて扉を閉めたら。五、いったんスイッチを切って五～十分ぐらい待ち、もう一度スイッチを入れて百八十度位に温度を設定して様子をみながら焼きましょう」と。
　「日本の小麦粉と天然酵母のパン生地だと、ベタついてクープをいれにくくて・・・・・・」、とおっしゃる方には、バゲットの発祥説もお話しします。
　そもそもバゲットは、天然酵母パンだけだった時代から脱して生まれた近代的ニューウエイヴのパン。家族の見守るかまどではなく、パン屋の業務用のパン窯から誕生したパンです。
　パンを膨らませるための最初のイースト生産工場がパリ郊外に出来たのが十九世紀末。そのイーストを使って一八九〇年頃、パリのパン屋で登場した細長い形のパンがバゲット。その頃のバゲットは長さ七十センチ、直径六センチ、重さ二百五十～三百グラムと、現在とほぼ同じでクープは五～七本。
　パンの技術がイタリアから伝わって以来、バゲットが誕生するまで、ずっとフランスで焼かれていたパンの基本は「丸パン」。パン職人それぞれが自家製で育てた天然酵母をつかって発酵させた一個三百グラム以上のずっしり重たいパンが主流でした。パリッとして軽い食感のバゲットは、労働が軽くなり、主食をあまり必要としなくなった人々の都会的なライフスタイルにふさわしく、パリ市民に受け入れられ、一躍ヒーローとなりました。
　クープの見事なバゲットは確かにオシャレです。けれど今は、パリでもクープが一本だけや、あるやなしやのバゲットも見かけますし、日本での日本の小麦＆天然酵母のバゲットもモッチリとした食感がまた格別なもの。姿形のよいパンは本職のパン屋にまかせて、家庭で焼くパンは愛情が一番。おいしければいいんじゃないかしら。と心の中で何時も思っているのです。
※※※
　みんなが幸せになるワイン、販売はじめました。お問い合わせ＆ご来店お待ちしております。詳細はホームページをご覧下さい。ワルン・ロティホームページ<a href="http://www.warungroti.com" target="_blank">www.warungroti.com</a>]]></description>
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         <pubDate>Fri, 28 Dec 2007 13:20:20 +0900</pubDate>
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         <title>～ババコウ・ジャムはミラクルなお味～</title>
         <description><![CDATA[<img alt="0711_bread_01.jpg" src="http://www.kirinkun.com/bread/images/0711_bread_01.jpg" width="300" height="225"  align="right"  />
　ババコウというフルーツをご存知ですか？アンデス高地生まれの黄色いフルーツで、色、形はパパイヤですが、なんと大きさは十倍くらい。よちよち歩きの少女がだっこするとおかっぱ頭が隠れてしまうほど。
　この謎のフルーツに出会ったのは、伊豆の下田の「おく農園」。町から車で十五分ほど入り込んだ森の中にあるこの農園では、季節のフルーツから十三種類のジャムを造り、私のパン屋にも置かせていただいているのです。
　きっかけは、その前の夏にファミリーで海水浴に行った時のこと、涼みに入ったホテルの売店で「桑の実ジャム」をみつけました。桑の実と聞いて、紫に染まった手のひらを思い浮かべていただけたなら、きっと私と同じようにどこかの野道で桑の実を食べたことがある方でしょう。
　桑の実は、盛岡市の北はずれの厨川で育った私の、夏の初めの小学校帰りの楽しみでした。桑の木にたわわに揺れる小粒の熟れた実をもぎ、口にほおばりながら帰ると、家に着く頃には手は真紫！ぶらぶら道草をしていた証拠はしっかりと手のひらにありました。
　そんな懐かしい桑の実のジャムがあるなんて！と、さっそくパン屋にジャムを置いてもらいたいと願い、去年の夏、「おく農園」を訪ねたのです。そこで、またビックリ。
　いただいた住所には、うっそうと森林が茂り、サワサワと勢いのよい水音が聞こえるのは、樹木に覆われた谷底に渓流があるようです。その水音に負けじとおびただしい蝉の声が合唱しています。ようやく木々の中に黒光りする瓦屋根と、草木を分けてそこへ上る小道をみつけました。小道の途中にビニールハウスがあり、人の背丈ほどの木から、大きな緑の葉っぱと、巨大な黄色い実が突き出ています。それがババコウでした。
　「お昼まだでしょう？」と、用意して下さったカレーライスをいただきながらお話を伺うと、ババコウの苗木は原産地エクアドルから、ニュージーランドを経由して日本に到着し、二十年ほど前に「おく農園」が日本で最初に栽培に成功。珍しさから引き合いが多い時もあったけれど、そうは売れず、困っていたのを試行錯誤でジャムに完成させたそうです。
　先代が飼っていたという蚕用の棚を残したままの天井の黒く太い梁を見あげながら、穫ったばかりのババコウをいただくと、手に汁が垂れてくるほどジューシー。淡いオレンジジュースのよう。ビタミンCがたっぷりでたんぱく質分解酵素を含むのでお肉を食べた後の消化を助けてくれるとか。
　お土産に、といただいたババコウはまあ、なんと重いこと。二キロ弱はありそう。いまにもジュースが滴りそうなのをそおっと持って帰ったものの、我が家の冷蔵庫に収まらず、「おく農園」に倣ってあわててジャムにしてみました。プロにはかなうはずもなくレシピはやみくも。皮を剥いたババコウと同量のグラニュー糖を鍋に入れコトコト。あま～い香りが漂ったところで、「ショウガ汁を入れてみよう」と思い立ち、さらに弱火でコトコト。さて、出来上がりはいつかしら？と判らぬままに、火を止めてビンに詰めたジンジャー風味のババコウ・ジャム。ちょっと煮詰めすぎたのか、べっこう飴みたいになってしまいましたが、お味はハイカラでしたよ。]]></description>
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         <pubDate>Wed, 28 Nov 2007 14:55:37 +0900</pubDate>
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         <title>～四百房のブドウの木～</title>
         <description><![CDATA[<img alt="四百房のブドウの木" src="http://www.kirinkun.com/bread/images/0710_bread_01.jpg" width="300" height="225"  align="right" />
　熱いオーブンを使うワルン・ロティの狭い作業場では、この夏の暑さはひとしお。
　そんなある暑い日、いつもの自転車をひっぱった、メガネの紳士が汗をふきふきパンを買いにいらして、「差し入れですよ」と、手提げ袋を渡してくれました。受け取るとズシリと重く、中には白い紙袋をかぶったブドウが一房。さっそく黒々とした大粒の実をプチっとちぎりほおばると、みずみずしい甘さが乾いたノドにしみわたります。
　「今朝、獲りたてですよ。この近くの農家でね、ブドウモギをさせてくれるんです」との言葉に、心はウキウキ。さっそく翌朝、訪ねてみました。
　自転車で三分。「この辺は目黒の住宅街のド真ん中。畑なんてあったかしら？」と、いただいた地図を片手に半信半疑でウロウロし、見つけた場所にはガッシリとした木の門構え。まるで道場のよう。調子に乗って「たのも～っ」と、声を掛けたとしても、間違いだったらタダではすまされそうにありません。小声で「あの～」と、様子を伺うと、「ブドウあります」と、書いた紙が吊るしてありました。
　見事にアーチを描いた松をくぐって敷地に一歩踏み入ると、そこには、子供時代の記憶にもあるかないかのレトロな農家の風景がありました。ぶあつい茅葺きの屋根と崩れかけた土壁の作業小屋。小屋の裏手に四角い畑がひろがって、まん中には葱坊主が鮮やかな緑の列をつくっています。窓を開け放った広い縁側の和風家屋の畳の間には扇風機がひとつ、だれに向けるともなく風を送っています。勝手口の手前にはコンクリートのプール？いえ、野菜の洗い場かしら？そして「ああ！ブドウ棚！」。
　一本の木が、十畳間程の広さに枝を張り、白い袋をかぶった房を垂らしています。
　畑仕事の手を休めて、手ぬぐいを粋にかぶった奥様が来てくださり、「はいはい、パン屋さんに差し上げるんだって方ねえ、来ましたよ。好きなの選んでってね。黒が濃いのが甘いですよ～」と、カゴとハサミを渡してくれます。
　ブドウ棚の下に敷いたビニールシートの上を、そろりそろりと歩きながら首をひねっては袋の中を覗いて、「百房はありますかあ」と訊くと、奥様は「まだ六年の木ですけど、今年は四百はありましたよ。前はピオーネを植えてたんですけど、色が良く出なくてね、藤稔（ふじみのり）に変えたんですよ。ビニールシート？雨よけですよ雨がたくさん降った年にね、そろそろ大きくなったかなあ？と、この白い紙袋をあけてみたら、どの房の粒も割れてしまっていてね、それから土に余計な水が浸みないようにビニールを張ったんですよ」と。育てる人の手入れが四〇〇の房を実らせたのです。
　「わが家にもメルローがなっているんです。ワイン用品種ですけれど」と、話すと「ほ～」と、奥様は関心を持ってくださいましたが・・・・・・実はたった十房。同じく六年目にして初めてつけた実です。ワイン用ブドウは、わざと房の数を減らして凝縮したワインを目指すと言いますが、私のはただの野放図。ちょっと恥ずかしくなりました。]]></description>
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         <pubDate>Mon, 29 Oct 2007 15:59:41 +0900</pubDate>
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         <title>～ライ麦種のバカンス～</title>
         <description><![CDATA[<img alt="0709_bread_01.jpg" src="http://www.kirinkun.com/bread/images/0709_bread_01.jpg" width="300" height="200"  align="right" />
　夏のバカンスはどこかへゆかれましたか？私とライ麦酵母は伊豆の海へゆきました。
　自家製の天然酵母にもいろいろありますが、ワルン・ロティでは、干しぶどうを使った果実種と、ライ麦粉を使ったサワー種の二種類をつくっています。
　干しぶどうを使った種の作り方は以前お話したとおり、水に漬けた干しぶどうから五日程かけて毎週新しくつくっていますが、サワー種も手のかかる甘えん坊。まるでぬか床のように毎日かき混ぜないといけません。十年経って良い香りの種に育っています。
　そのサワー種の作り方を伝授してくださったのは、ご近所にあった店のパン職人さんでした。娘をベビーカーに乗せて通っていたのです。
　まず、ライ麦粉百グラムと水百グラムを容器に混ぜて、お味噌みたいなペーストにし、暖かいところに置きます。一日経って、ペーストの表面がポッコリと盛り上がり、カルメ焼きのようにひび割れていると合格。空気中と粉に住む酵母の働きです。
　その中心からスプーンで一杯分すくいとり、新しくライ麦粉百グラムと水百グラムを混ぜた容器に加えて、また一日待ちます。翌日それもポッコリ膨らんでいたなら、また新しくライ麦粉百グラムと水百グラムを混ぜた容器にスプーン一杯分を取り出して加えて・・・・・・この「採って混ぜる」作業を繰り返して七日目にバルサミコのような甘酸っぱい香りを放っていたら、サワー種のできあがり。もしも、ぬかみそっぽい匂いがしていたらダメ。始めからやり直しです。
　実は私も一度目は見事に失敗。どうひいき目にみても良くない匂いに泣く泣く捨てました。考えてみたら、サワー種で焼くライ麦パンは乾燥して涼しい国のアイテム。もしや、湿気と暑さで発酵の進みが早いのかしら？と推測して、二度目のチャレンジでは「採って混ぜる」間隔を短くして半日ごとに「採って混ぜる」を繰り返してみました。果たして一週間後、酸っぱいような甘いような香り”今度こそ成功です。
　中身を取り出した後の残ったペーストは捨ててもいいよ、と言われたのですが、もったいなくてとっておいたので、完成までにちいさな赤いバケツが十四個並びました。
　できあがった最後のバケツの種はガラスの密閉瓶に移して冷蔵庫で保存します。ここから一日一回スプーン一杯分を採って「一日一回限定カンパーニュ」のパン種にしています。あとには、採りだした分と同量の新しいライ麦粉と水を混ぜたペーストを加えておくと、いつも同じ量の種が熟成を重ねてゆきます。
　でも、たとえパンを焼かなくても、この「採って混ぜる」を一日怠ると種はダメになってしまいます。そこで、旅行先にもクーラーボックスで連れてゆくのです。必須なのは、宿の冷蔵庫が使えるかどうかのチェック。そうして伊豆へ行ったら伊豆の水で、京都へ行ったら京都の水でペーストをつくり混ぜるのです。海外旅行？それは家人が頼りです。「一日一回忘れずに！お願いね～」と冷蔵庫に張り紙をして。]]></description>
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         <pubDate>Sat, 29 Sep 2007 20:06:17 +0900</pubDate>
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         <title>～パンのコウノウ？～</title>
         <description><![CDATA[<img alt="0708_bread_01.jpg" src="http://www.kirinkun.com/bread/images/0708_bread_01.jpg" width="300" height="195" align="right" />
　夏休みのある日、わが家のテーブルに、麦茶のポットが出しっぱなしになっていました。「だあれ？冷蔵庫にしまわなかったの！」と、口をへの字にしながら、ひと口飲むと、「酸っぱい？」さらに口が曲がってしまいました。よく見ると細かな泡が、ポットに入れた麦茶のパックのまわりにくっついています。
　あれ？これってもしやビールなのかしら？と、暑さでくらくらしそうな頭は、遥か古代へと誘われて・・・・・・。
　はじまりのビールはパンからつくられていた話をご存じでしょうか？
　「メソポタミアのビールパン」として知られるそのパンは、ライ麦とスペルト小麦を捏ねて発酵させて焼いたパンでした。紀元前三千年前頃にメソポタミアのシュメール人が残した楔形文字にその記録が残されています。
　スペルト小麦とは、現在普通にパンやお菓子に使っている小麦の祖先にあたる麦ですが、いまなおドイツで、そして日本でも少ないながら生産されています。東京のパン屋でもパンにしている店がありますが、独特の風味が強くふっくらしたソフトなパンには向きません。粒の固さを活かしてリゾットに仕立てているイタリア料理店もあります。
　ビールパンが生まれたメソポタミアの時代は、麦粒を石で砕いて粉にしていたので、できたパンは麦の皮も混ざって、きっと重たく固いパンだったでしょう。
　すでに、食べるためのパンとビールパンは区別されていたようですが、エジプトにビールパンが伝わると、食べるパンと同じ形と大きさで、円盤型や三角形をしていて、ビール用パンには三本線で刻んだ目印がつけられました。その、三本線パンを水に溶かすとビールのできあがり。
　大きな素焼きのカメの水の中へ、ポンとパンを投げ込むと、またたくまにブクブク泡立ち、飲むとおいしいビールへ！なんて、まるで魔術師の技みたいです。
　ところが、実際には、一度高温で焼いたパンなので、パンの酵母菌は活きてはいないはず。それでもパンに付着したり、空気中に住んでいた酵母が、パンの糖分を餌にして活動をはじめ、暑い気温のもとで発酵の進みがはやかったとしても、充分に泡立った液体ができあがるまでには、二～三日はかかったでしょう。その頃のビールはアルコールも低く、濁っていて今のビールからはほど遠いものだったそうです。
　実は古代の人々にとって、ビールとは、楽しみよりも、水にかわる日常の大切な飲料であり、薬でした。アルコールによって消毒されたビールの方が水よりも衛生的と、女性も子供達も安心して飲んでいました。
　そして、パンも薬の材料となり、コウノウが期待されていたのです。例えば、パンに杜松（ネズ）の実とビールを混ぜた物は鎮痛剤、ガチョウの脂と蜂蜜、薬草を混ぜたものは整腸剤として、そして酸っぱいパンは育毛に効くなどなど・・・・・・。]]></description>
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         <pubDate>Wed, 29 Aug 2007 17:15:21 +0900</pubDate>
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         <title>～あんぱんラプソディー～</title>
         <description><![CDATA[<img src="http://210.150.85.58/bread/images/0707_bread_01.jpg" width="300" height="225" align="right" />　「最初はナニが入っててるのかオドロキマシタ。クロクテアマイのです。」とは、ワルン・ロティのあんぱんを買ってくださったお客様のイギリス人紳士。
　外国では豆は野菜の一つなので、「豆がアマイノはユルセナイ」と、話には聞いていたのですが、日本の和菓子は世界に知られている時代ですから、すでに昔話だろうと思っていたのですが・・・・・・
　そういえば、ヨーロッパのパン屋であんぱんを見かけたことはありませんでしたし、こちらはもう十年は前のことですが、インドネシアで一見してあんぱん風のパンを見つけて買ったのに、中身はココナツの砂糖煮でがっかりしたことも。
　「あんぱんは日本のこころ」なのだそうです。日本人はあんぱんを食べるとホッと心が和むのだという人の言葉に、そうなのかもしれないなあと、このごろ感じてます。
　ワルン・ロティでもあんぱんは大人気なのです。そして、お客様のアンへのこだわりは頑固です。コシアン派はコシアン、ツブアン派はツブアンのあんぱんしか買いません。「どっちでもいいわよ。おいしいから。」などと言ってくださるお客様は本当に少ないのです。なかには、「僕はアンコも自家製のパン屋のパンで無いと買いません！」と、宣言をしてなにも買わずに帰ってしまったお客様もありました。
　国産の小麦や自家製酵母にこだわっているからでしょうか、アンコも手づくりだと思ってくださる方も多いのです。が、パンを焼いて十五年となりますが、基本的には不器用な私が「アンコを練って何十年」という職人の腕にかなうはずはありません。
　もともと、粉と酵母のシンプルなパンを主に焼いていたワルン・ロティでしたが、お客様の「柔らかくてあま～いあんぱんリクエスト」の多さに応えよう！と意を決した日から、とびきりおいしくてひと口で味の違いの判るアンコを探そうと考えていました。
　そしてたどり着いたのは、十勝産小豆と砂糖と塩だけで炊いたピュアなアンコでした。決め手はツブアンのツブのツヤツヤ。見た目の照りにも舌触りにも、小豆一粒のツヤがツルツルと伝わるのです。その店のコシアンのコクと濃密さも気に入りました。
　電話口でそのアンコ屋さんが話してくれました。十勝平野は日照時間が長く、昼と夜の温度差が激しいのでとびきり糖度の高い小豆が穫れるのだと。けれども小豆も自然の農作物、その年のお天気によって出来不出来が決まります。ですから、アンコも毎年同じ品質、そして価格を維持してゆくのは努力がいるのです、と。
　昨秋には、隣の区から、いまでも井戸水を使ってアンを炊く職人さんと家族で営むアンコ屋さんが訪ねてくれました。おかげで秋には焼き栗、冬は柚子、春は桜、初夏は抹茶と季節アンのあんぱんも大好評になりましたが、ツブアンは以前として十勝のアンコ屋さんです。けれど隣の区のコシアンもまた水の甘さを感じるほど上品で・・・・・・。
　さて、コシアンはどちらにしたものか・・・・・・あんぱんのアンに思案しているのでした。]]></description>
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         <pubDate>Sun, 29 Jul 2007 15:59:00 +0900</pubDate>
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