歴史の後影5 鼓翼平和観音像
北区田端2-7-3(東覚寺境内)
昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲は、死者10万名、負傷者10万名、焼失家屋27万戸を数える未曾有の被災となった。
アメリカ合衆国の戦略爆撃は、紙と木でできた日本の都市を、焼夷弾を使った超低空爆撃で文字通り焼き払う戦術に出た。死傷者の多くは焼死・窒息死また川に飛び込んだことによる水死・凍死とされている。
耐火建築に避難した人々も、あまりに火災規模が大きかったため起きた火災旋風による火災に見舞われた。この火災旋風のすさまじさは、後続の爆撃隊がB29の操縦を困難にし、予定地以外の例えば荒川方面に焼夷弾投下を余儀なくさせたほどだったいう。
アメリカ軍は効率良く東京を焼き払うため、中心部からその周縁を囲むように、矢継ぎ早に空襲を行ったが、その一つが同年4月13日の城北大空襲と呼ばれるもので、豊島から深川にかけて死者2459名、焼失家屋20万戸とされている。
いま田端・東覚寺に建つ「鼓翼平和観音像(薬師寺型)は、こうした総力戦下の学童疎開を偲ばせる記念像だ。説明板によれば、滝野川第一小学校(国民学校)の四万温泉(群馬県)に集団疎開した児童に思いを込めたものだという。俳優・児玉清氏もこうした児童たちの一人であったことが記されている。
歴史の記録としては、数万・数十万の「大量死」として表現される人間ではあるが、<死>は一人ひとりにしかやってこない切実なものである。そうしてこれは決して一般的な<体験>たりえないがゆえに、つねに生者によって語り継がれねばならないのだ。
(織戸 雅史)
