えー、毎度おなじみの噺を一席 落語と巡る 北の手の銭湯
平成19年10月末の東京都内の銭湯数は929軒。ピークだった昭和40年代前半には2700軒近くと繁盛した銭湯もついに千軒を割ってしまった。現在、“冬の時代”の銭湯だが、落語では噺の舞台や小道具として度々登場し、江戸の世の人たちの生活を今に伝えている。そんな落語を通してかつての銭湯に思いを馳せ、北の手銭湯巡りをしてみた。ほんのひとときおつきあいください。
その一 銭湯が効果的に使われている『芝浜』
最初に紹介するのは、三題噺、人情噺で知られる『芝浜』。酒好きのせいで貧乏生活を送る魚屋の勝五郎が女房の機転の利いた一言で一念発起し、三年後には表通りに店を出すまでに成功する噺だ。その終わり近くにはこんなくだりが登場する。
時は大晦日の夜。
「おかえりなさい。お湯屋混んでたかい?」
「そりやア、おめえ芋を洗うようだな」
一年の垢落としで湯屋(銭湯)は大入り。だからこそ奉公人たちを湯屋に急がせた。
「みんな、早いとこ湯へ行ってきねえ」
このやりとりが、続く締めくくりを盛り上げる。
若い衆を湯にやり、家事の終わった女房と二人きりに。そこで女房から打ち明けられる。どうせ酒代に消えてしまうからと、三年前に勝五郎が芝浜で財布を拾ったのを夢の中の出来事と、言いくるめてしまったことを。勝五郎は湯で一年の垢を落とし、その間に女房は新年の準備を済ませておく・・・・・・。そんなちょっとした演出があった後での女房の突然の告白。ここで大いに盛り上げるからこそ、次のサゲがより効いてくる。
心を入れ替えて酒を断ち、商売に精を出す勝五郎を見てきた女房は、大晦日だからと一杯の酒をすすめる。三年ぶりにお酒を目の前にして、においを嗅ぎ、口を近づけたが、結局手を下に置く。
「この酒よそう。また夢になるといけねえ」
その二 『湯屋番』で知る銭湯の仕事
「芋を洗うような混み具合」を見られたのはいつ頃までだろう。松の湯のご主人によると、時間帯や季節などによって差は出るが、昭和40年代まではかなり混みあったという。
おもしろいところでは、テレビの人気ドラマやスポーツ番組の有無によっても左右されたらしい。香取湯のご主人もまた、郊外にマイホームを持つ人が増え始めた昭和50年代頃から銭湯も、そこへ通うお客さんも減りが目立ち始めたと言う。
『芝浜』では、銭湯が噺を盛り上げる小道具として登場したが、『湯屋番』は銭湯、それも「番台」が噺の舞台となる。
主人公は、遊びが過ぎて勘当となり、出入りの職人宅に居候の身となった若旦那。さらに世間を知るためにと銭湯に奉公にだされるわけだが、ここでこの若旦那、番台に座りたがる。念願かなって番台に座ったものの、女湯を眺めているうちに・・・・・・。色っぽい姐さんにひとめ惚れ、あれやこれやと進展していくという妄想にふける。ニヤニヤし、目が宙に浮いていると客に殴られる。
「おれの下駄がねえんだよ」
すると番台の若旦那、となりの下駄を履いて帰ればいいと。じゃ、その客はどうするんだと食い下がる客に対して、「順に履かせて、しまいは裸足で返します」
その三 夢の小舞台 番台は今どこに!?
実は番台に座る前に、若旦那は“外回り”の仕事を言い渡される。大八車を引っ張って、燃料となる木屑やかんな屑などを拾ってくるというのがその内容だが、噺を通して銭湯の仕事の大変さがよくわかる。
若旦那が熱望した番台だが、ここでの仕事は意外と気を使うらしい。代金徴収だけでなく、流し場の様子やお客さんの衣類・下駄を監視しなければならないからだ。若旦那は番台失格だったわけだが、現在はロッカーが設置され、セキュリティーは格段にアップした。昭和の面影を残す千歳湯のご主人でさえ「もう見かけない」と言うように、ほとんどの番台はそれまでの役割を終えて、ホテルのような“フロント式”へと姿を変えた。こうなると、古典の『湯屋番』にも大幅にアレンジが加えられた“現代版”が登場するのかもしれない。燃料もガスや重油を使うのが主流になっている。
そんな中、田端にある滝の湯が今も薪を使っている(番台もあるかも)との噂を聞きつけて訪れたが、“しばらくの間休みます”との一枚の紙が貼り出されていた。建て替えるのだろうか?今となっては確かめようもない、残念。
おわりに
改めてだが、たっぷりとお湯が張られた大きな湯船にゆっくりつかるのはサイコー!だ。薬湯やサウナもほぼ当たり前。これが430円(大人)なんだから、贅沢な空間だ。それだけに銭湯が急速に姿を消しているのはとても残念に感じる。
今回取材させていただいた各銭湯のご主人は、「経営は大変だが、銭湯の良さは伝えていきたい。だからこそできるところまでは続けたい」と口を揃えた。営業終了後の掃除や開店前のさまざまな準備は予想以上に重労働。また、広い敷地や光熱費などの維持管理は大変だろう。新しい機械やシステムを導入して、効率化を図ることは銭湯を続けていくための策なのだ。
ご主人たちの奮闘ぶりに接して、「昭和の面影がなくなってきたなぁ」との感傷気分も、お湯と一緒にさっぱり流された。(お後はよろしいでしょうか?)
なお、各銭湯では1月2日に朝湯を実施!心身ともにリフレッシュして新しい年の朝を迎えてみてはいかがだろう。
(取材と文=斉藤 茂明)
創業約50年。7年ほど前、先代から継いだのが佐藤順也さん。オーナーの高齢化が進むに伴い閉店する銭湯が増える中、古き善き「銭湯文化」を絶やすのはもったいない!と決心し、サラリーマン生活にピリオドを打った36歳だ。唐破風の入口に高天井の洗い場、そして見事な富士山の壁絵などは、テレビドラマのロケ地に使われることもある、昭和の雰囲気を残す貴重な銭湯だ。「年の差を超えてふれあえるのが『銭湯文化』の良さ。祖父の代から続くこの文化を伝えていきたい」。ハーブ風呂は、実母散、川きゅう(草かんむりに弓)、草津温泉、ラベンダーなどが日替わりで楽しめるほか、ジェットバスもある。小ぢんまりとしているが石庭もある。
田端銀座にある4階建てビルの2階。新築した昭和47年当時、ビルの中の銭湯は珍しかった。所々に飾ってある四季折々の花は奥様の手によるもの。また、壁のタイル画は業者さんを交えての家族会議で決めたという、家族で営む銭湯だ。営業終了後、掃除を行うため寝るのは早朝4時過ぎだとか。「確かに大変ですが、みなさんに気持ちよく入っていただくため、こまめに掃除をして清潔さを保つようにしていますので、ぜひご利用ください」とは、ご主人の村上豊さん。コインランドリーは脱衣所に設置されている。深夜1時まで営業しているので、残業帰りの人も少なくない。ちなみにガス化され、高い煙突は今では看板のような役割とか。
ご主人の宮坂三也さんが、終戦で復員してきた昭和23年に創業。“バラック”からのスタートだったが、昭和32年に最初の建て替え、平成6年には現在のマンション併設型に新築した。「地域の公衆衛生という重要な役割を担って始めました。今でも、『こぼれるお湯に入れるのが幸せ!』というお客さんの声や、息子たちの『やれるところまでやってみなよ』という励ましで続けられています」。薬湯などは設けずシンプルに白湯のみだが、サウナがある。高い時で45℃と高めの湯温は江戸っ子好み!?宮坂さんは、区の青少年育成委員など、各種役員・委員に就いている。おしゃれで、83歳とは思えない活動力。
名前は、かつて徳川家ゆかりの地だったことに由来。フロントは新しいが、脱衣場・浴室は開業した50年ほど前からあまり変わらないとか。お湯は、地下135メートルから汲み上げている井戸水を使用。保健所の検査でも飲み水に最適と太鼓判を押されるほどの良質の軟水で、あたりがやさしく肌や髪にいい(フロントに飲料水もある)。さらに備長炭で、より清潔でやわらかなお湯にしている。浅めの湯船もあり、腰湯(半身浴)にいい。ご主人の原和夫さんは「腰湯をしながらの軽いストレッチで腰痛なども楽になると思います」。昨年からは、今では珍しい朝湯を日曜日に開始。「朝日を浴びながらの入浴は気分がいいですよ」(これなら落語『付き馬』に登場する男もゆっくり逃げる手段を思案できる)。
